― クラウドファンディング特別企画 ―
「はなコミあきつ」の立ち上げ・運営を行う二人にインタビュー
子ども・教育への想い、これからの無人島教育とは
2024年6月10日に始まった、クラウドファンディング(リンクはこちら)。
こちらのページをきっかけに、「もっと二人のことを知りたい!」とご連絡をいただいたWebライターさんに、特別企画としてインタビュー記事を書いていただきました!
本ページだけの特別書下ろし!長編になっておりますが、ぜひご覧ください!
「はなコミあきつ」のおふたりにインタビュー!
無人島教育の拠点であり、かつ地域に開かれた第3のコミュニティスペースともなる、広島・安芸津(あきつ)町の「花まるコミュニティあきつ(以下、はなコミあきつ)」。“子どもから大人まで、みんながワクワクする社会をつくりたい”という想いのもと、立ち上がったプロジェクトです。
そんな「はなコミあきつ」の設立・運営を行うのは、花まる学習会 野外体験部 無人島プロジェクト責任者の加藤崇彰さんと無人島看護師の荒井大詞さん。教育・子どもに対して熱い想いを持つお二人に、これまでのご経歴、子ども・教育への想い、無人島教育・はなコミあきつのこれからについてお話を聞きました!
目次
1.偶然のご縁で意気投合!無人島教育に携わるまで
ーーーお二人の経歴について教えてください!加藤さんは、無人島教育の拠点「花まるコミュニティあきつ」の立ち上げに至るまでは何をしてきたのでしょうか?
大学時代に「花まる学習会」に出会い、アルバイト講師として子どもたちと関わるようになりました。
大学では物理を専攻していて、教育の道に進もうとは思っていなかったのですが、花まる学習会との出会いで子どもが大好きになり、子どもと過ごす時間にどっぷり浸かりたい!と思うようになりました。
大学卒業後、小学校の先生になると決意し、教員免許を取得するために通信教育を始めました。
それと同時に、花まる学習会の野外体験部のアシスタントとして朝から晩まで働き始めました。
そのなかで参加したのが、4泊5日のサマースクール北海道・十勝コースです。酪農家や漁師など第一次産業に携わる方々のもとで体験をするというものでした。
そのコースに行ったら、子どもたちの表情がみるみる変わっていって、目の輝きが変わっていくわけです。そこに感動して、帰ってきてからも熱が冷めず、興奮して寝られなくなってしまったのです。
そして、その日の夜に、十勝のサマースクールをコーディネートしていた方に「今すぐにでも十勝に行きたい、働きたい」と連絡しました。
そしてその1か月後、北海道に移住をしました。
ーーーアクティブですね!北海道ではどんなことをされていたのですか?
思い経ったらすぐ行動です!
十勝では、地域のコーディネート業務、高校生向けの農村ホームステイ事業に携わりました。
そして7年後、「そろそろ実家のある茨城県に帰って、自分で寺子屋を始めよう」と思い立ちました。
茨城に帰っていろいろと準備をしていたタイミングで、花まる学習会の社員の方から連絡が来て「もう一度一緒に働こうよ」と話をいただき、翌日に人事の方に話してもらって、入社が決まりました。
そして、入社すると「ちょうど無人島業務が始まるからやってみないか?」とお話をいただき、「やります!」と答えて今に至ります。
ーーー絶妙なタイミングとご縁で、無人島教育に携わることになったんですね。
本当にそうなんですよ。
荒井くんと出逢ったのも、本当にたまたまのご縁で。
ーーー荒井さんは前職で看護師だったそうですが、この無人島プロジェクトに至るまでは何をしてきたのでしょうか?
もともと学生時代は、看護師と教育の道のどちらに進むかで悩んでいたんです。
大学時代からボーイスカウトのような子どもとのキャンプを企画する団体に所属していて、ずっと教育に関心はありました。
ただ、教育の世界に入ったとしても今の教育を変えていくには到底力が及ばないという点と、大学では教育学よりも看護の学問を究めるほうが自分の身になるのではないかと考えて、看護師の道に進むことを決めました。
ただ、心のどこかで「教育に関わりたい」という想いがあったので、看護師は3〜5年ほどで区切りをつけようと思っていました。その短期間で専門性を身につけるには、より大きくて専門性の高い病院で働きたいと思い、救命救急センターで3年間働きました。
当時は感染症流行禍であったこともあり、救命センターではさまざまな経験をさせてもらいました。そして、自分のやりたかったことがある程度できたタイミングで、看護師を退職しました。
そして、次はどうしようと考えていて......
自分がやりたかった「自己肯定感を育むこと」や「幼児教育」をできる場所を探しているなかで、日本一周を始めました。
もともとお金に縛られない生活や、いろいろな場所を旅しながら生活するアドレスホッパーにも憧れていて、看護師時代から始めていたライターの仕事を継続しながら、1年間旅をしていました。
旅のテーマを「素敵な人と素敵な場所に出会う旅」として、行く先々で出会った人にお声がけして、「素敵な場所を教えてください」もしくは「お友達を紹介してください」と聞いて回りました。
そのとき、たまたま鹿児島県にある無人島を紹介していただく機会があり、そこのオーナーさんと知り合って。
「もしこの無人島を好きに使ってよかったら何をする?」と聞かれたときに、「せっかくだったらここに子どもたちを集めて、何もないところから自分たちで何かを生み出していく経験ができたら最高だと思います」という話をしました。
この内容をSNSにあげたところ、旅中に出会った北海道の方がたまたま加藤さんとお知り合いの方で!
「もう無人島教育をすでにやっているところがあるよ」
「加藤さんという熱い人が広島にいるよ」
という話を聞いて、地元に戻る前に広島へ行きました。